枕木積み込み作業風景
いわさきグループの中核である岩崎産業(株)の誕生は、大正11年にさかのぼります。12000haにおよぶ広大な社有林を奄美に所有。長期伐採計画に基づき木材資源の確保に力を注いできました。
戦前は、枕木販売・山林経営のほかに鉱業重工業の分野にも進出し、今日の発展につながる基盤を確立しました。

 

指宿観光ホテル
戦後は、陸海の交通運輸事業を手がける一方で、観光・レジャー時代の到来をいち早く予測、指宿・開聞山麓・佐多岬などの観光開発をすすめてきました。また、種子島、屋久島、奄美大島の離島、沖縄の豊見城城址公園。大分の久住高原、伊豆の石廊崎や箱根など全国数十カ所の景勝地を意欲的に開発。昭和31年の指宿観光ホテルの開設。そして昭和47年の西太平洋一の偉容を誇る豪華な大リゾートホテル指宿いわさきホテルの完成。いわさきグループは総力を結集し、指宿を鹿児島県のひなびた湯治場から南九州観光のメッカへと変貌させたのです。

 

「創意と工夫」でたえず時代を先取りしながら前進し続けるいわさきグループ。その積極果敢な経営姿勢は、国内のみならず、オーストラリアに所有する約9000haの土地開発をはじめとする海外の観光開発にまで乗り出す大きな原動力になっているのです。

 

1902年
明治35年
5月 創業者・岩崎與八郎、鹿児島県曽於郡岩川(現 曽於市)で生まれる
1922年
大正11年
岩崎商店開業
1923年
大正12年
9月 関東大震災により大量の枕木を鉄道省に納める
1928年
昭和3年
8月 郵便逓送事業開始
1930年
昭和5年
金輸出解禁により鉱山事業を開始
1940年
昭和15年
4月 岩崎商店を岩崎産業株式会社に改組
1941年
昭和16年
12月 岩川に岩川工業学校を創立 (現 岩川高校)
※太平洋戦争 勃発
1943年
昭和18年
12月 鹿児島工業専門学校、医学専門学校の設立に寄与

(現 鹿児島大学工学部・医学部)

奄美大島の山林経営に着手
1948年
昭和23年
4月 東京 銀座にオリンピック観光(株) 設立
1951年
昭和26年
11月 銀座にオリンピックビルを新築 (終戦後東京で2番目の新築ビル)
財団法人岩崎奨学会 設立
1952年
昭和27年
5月 南薩鉄道(株) 買収
1956年
昭和31年
11月 指宿観光ホテルオープン (現 指宿いわさきホテル)
1957年
昭和32年
12月 鹿児島市に岩崎美術館を寄贈
1959年
昭和34年
2月 名物ジャングル浴場 指宿観光ホテルに完成
箱根に紅葉園をオープン
1960年
昭和35年
2月 鹿児島商船(株) 設立
1963年
昭和38年
8月 佐多岬有料道路の開通式
沖縄の観光開発に乗り出す
1964年
昭和39年
9月 南薩鉄道(株)、三州自動車(株)を合併し鹿児島交通(株) 設立
1966年
昭和41年
12月 南海郵船(株)を買収
1967年
昭和42年
11月 いぶすきゴルフクラブ開聞コースオープン
1969年
昭和44年
5月 伊豆の石廊崎ジャングルパーク、オープン
1972年
昭和47年
3月 豪州岩崎産業(株) 設立
6月 ※鹿児島~香港国際線航路 開設
10月 指宿いわさきホテルオープン
1974年
昭和49年
4月 鹿児島市とオーストラリア・パース市との姉妹都市盟約締結に寄与
1979年
昭和54年
6月 オーストラリア、キャプリコーン・イワサキ・リゾート起工式
1981年
昭和56年
11月 メキシコ、マグダレナリゾート開発計画の発表
1989年
平成元年
7月 高速艇ジェットフォイルTOPPYを種子・屋久路線に就航
1990年
平成2年
6月 コスモリゾート種子島いわさきホテル オープン
1991年
平成3年
7月 コスモリゾート種子島ゴルフクラブ オープン
1995年
平成7年
10月 屋久島いわさきホテル オープン
2001年
平成13年
10月 株式会社シーエス九州 設立 (現 インターローカルメディア株式会社)
2009年
平成21年
4月 現代ユニバースいわさき 設立
2013年
平成25年
11月 第1回白露シニアゴルフトーナメント 開催 (於 いぶすきゴルフクラブ)
いわさきグループ三代目CEO 岩崎芳太郎 鹿児島商工会議所会頭就任
2017年
平成29年
 4月  種子島いわさきホテル リニューアルオープン
2019年
令和元年
7月 第87回日本プロゴルフ選手権大会 開催 (於 いぶすきゴルフクラブ)
2021年
令和3年
天文館・リバティーハウスに岩崎屋 オープン
2022年
令和4年
創業100周年
鹿児島空港に「いわさきのキッチンさつま」オープン